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抱きしめたいトキの長さ




 何も見えない暗闇。
 何も聞こえない、暗闇。
 まるで深海の底の様な闇が僕の周りに広がっている。
 ……ここはどこなんだ?
 僕はどうしてこんなところにいるんだ?
 暗闇に問う。
 僕はこの先、どうすれば――――――――


「アシュトン」
 僕の名を呼ぶ、誰かの声。
「おい、アシュトン!」
 声の主は、僕の肩を揺らしながら再び呼んだ。その声に導かれるまま、薄く目を開ける。
「――――――――っ!」
 瞬間、燦燦たる太陽の光に襲われ、思わず僕は手で目を覆った。徐々に目が慣れてきたところで、ゆっくりと上体を起こす。
「ふぅ、やっと起きたか」
 声の方に目をやると、隣には金髪碧眼の青年が立っていた。
「……クロード。ここは……?」
「エクスペルだ。帰ってきたんだよ、俺達は」

 エクスペル? ここが……?
 確か僕達は、エナジーネーデで十賢者と……。
 ……そうだ、僕達は勝ったんだ。
 その後地鳴りが酷くなって、ナールさん達が来て、理屈はよくわからないけどエクスペルを元に戻すって……。
 そのあと、突然光に包まれたんだっけ。

 地面から腰を上げ、辺りを見回す。
 クロード、レナ、ディアス、プリシス、ボーマンさん……。
 一緒に旅をしていた仲間達が、皆僕の方を見ていた。皆元気なようで少しほっとする。
 どうやら、目を覚ますのが一番遅かったのは僕のようだ。
 辺りに建物はなく、あるのは荒野と林くらいで――そんな中、遠くの方に見覚えのある古びた塔が見えた。
(あれはエルリアタワー? じゃあここは、エル大陸、なのか)
「……本当に、帰って来れたんだね?」
 言葉に出して確認する。
「ああ」
「……終わったんだね」
 長く、苦しい戦いは終わった。
 でも――

「……でも何か、何か悔しいよ」

 そんな、プリシスの呟き。
 確かに僕達は勝った、皆そろって生き残った。全世界の崩壊を防ぎ、未来を掴んだ。
 だけど、プリシスの言う通り、僕達の誰一人として素直に喜べはしなかった。
 僕たちの掴んだ未来。その代わりに失ったもの。
 たとえそれが仕方の無いことだったとしても、悔しかった。
 僕達はただ、彼らの決意を胸に刻み、黙祷を捧げた。

「……さて、と。いつまでもこうしてはいられない。とにかく僕らは生きているんだ。これからのことを考えなきゃ」
 そう言って静寂を破ったのはクロードだった。
 その一言を機に、皆が口々に話し始める。
「だな。やめようぜ、こんな辛気くせえのは。終わったことを悔やんでも仕方ねえしよ。で、お前らこれからどうするんだ?」
「僕は地球に帰るよ。一度戻って……色々考え直してみたいからね」
「あたしもリンガに帰ろっかな。親父が心配だし」
「ノエル、あなたどうする? 私達はここ初めてだけど……」
「僕はしばらくこの世界を回ってみようかと思ってます。この惑星の生物を見てみたいですしね」
「そう。私どうしようかな〜。ねえねえ、この惑星に新聞ってあるの?」
「さあ、張り紙くらいなら見たこと有りますけど……」
「えぇー、ないの〜?」
「無いなら自分で作りゃいいじゃねえか」
「あ、いいこと言うじゃない♪ じゃあ私はそうしようかな」
             ・
             ・
             ・

 皆の話を聞きながら、僕は一人立ち尽くしていた。
(僕は……どうしよう)
 僕には帰るような故郷はないし、旅を続ける気もなかった。
 旅をするのが嫌になったわけじゃない。ただ、少し疲れていた。
 長かった旅が終わり、今の僕には帰る場所も、目的も無くなってしまった。
 空は晴れていて、日が燦燦と射してるのに、周りが暗いように感じた。

 僕は……
 僕はこの先、どうすれば――――――――

「アシュトン」
 不意に話しかけられ、はっとする。
 話しかけてきたのはレナだった。
 風に揺れる綺麗な青い髪に三日月形の髪飾りをつけている、ネーデ人の少女。幼い頃、たった一人過去から転送されてきたという辛い運命を乗り越えた強い心の持ち主。
 そして……僕の好きな女性(ひと)でもある。
「どうしたんだい、レナ?」
「あ、あのね」
 レナは戸惑いながら、その言葉を出した。
 その言葉が、僕の運命を変えた。
「もし良かったら……」



「私と一緒に、アーリアに来ない?」









 チュンチュンと鳥のさえずる声が聞こえる。
 その声に誘われて、僕は目を覚ました。ベッドからゆっくり身を起こし、寝惚け眼で窓の外を眺める。
 雲一つない青空、今日もいい天気だ。
(夢、か)
 ひどく懐かしい夢を見た。
 もう3年近く前の話だ、レナに誘われて僕がここ、アーリア村に来たのは。
 だけど、今日こんな夢を見たのも致し方ないことだと思う。
 今日は、特別な日だから。

 身支度を整えて部屋を出、階段を下りる。
 一階で朝食の支度をしているウェスタさんと目が合った。
「おはよう、アシュトンさん」
「あ、お義母さん、おはようございます」
 お義母さん――――ウェスタさんのことをそう呼ぶのにももう慣れてしまった。
 僕は今、この家に住まわせてもらい、食事も厄介になっている。
 本当は別に住もうと思っていたのだが、レナに『部屋は余っているから』と半ば強引に連れて来られたのだ。
「ふふ、嬉しそうですね」
 ウェスタさんが僕のほうを見て、微笑みながら言った。
「え……そ、そうですか?」
「ええ、顔にそう書いてありますよ」
 そんなに今にやけているのだろうか?
 なんとなく恥ずかしくなり、僕はそそくさと食卓に着いた。

「ごちそうさまでした」
「どういたしまして」
 そんないつもどおりの会話を済ませ、階段へと向かう。
「あ、そうそう、アシュトンさん、あの子から時間の連絡とかありました?」
「いえ、昨日聞いたときはまだはっきりとわからないって言ってましたよ。これから聞いてみようと思ってます」
「じゃあわかったら教えてくださいね。腕によりをかけて料理を作りますから」
「え、あ……そ、そうですか……楽しみにしてます」
 笑顔のウェスタさんに苦笑いで答え、僕は階段を上り始めた。
 上りながら、軽くため息をつく。
(よりをかけて、か)
 ウェスタさんの料理はお世辞抜きでおいしい。
 だが、彼女が"腕によりをかけた"時はその量が半端ではなかった。
 僕がここへ来た最初の日もそうだった。
 3人しかいないと言うのにテーブルに所狭しと並べられた料理達。気合で食べきったものの、食事の後、僕はその場から一歩も動けなくなっていた。
 まるで重病人のように、レナに肩を借りて何とか部屋にたどり着いたのを覚えている。
 レナから聞いた話では、クロードがこの家に来た時も同じことがあったらしい。
(……思い出しただけで満腹感が)
 今日の食事に不安を覚えるとともに、どこか胸焼けのようなものを感じながら僕は部屋へと戻った。

「さて、と」
 部屋に入った僕は真っ直ぐに机へと向かう。そして机の上に置いてある、平べったくて薄い、箱のようなものを開ける。
 ここ2年ほどの僕の習慣。一日たりともこの行動を欠かしたことはない。
 これが今、僕とレナの唯一の接点だから……。

 レナは、今この村にはいない。地球に2年間、医学の勉強をしに行っているためだ。
 紋章術では治せない病気についても学んで、もっと多くの人を助けたいと言って。

 そして今日は……レナが帰ってくる日なのだ。

 レナが地球に行きたいといった時、僕は止めなかった。
 彼女の気持ちはわかってるつもりだったし、彼女がそう決めたのなら応援したいとも思った。
 2年も離れるということに不安はあったけど、レナと僕の絆はそんなことじゃ壊れない、そんな風に簡単に思っていた。

 僕は箱――――レナはこれをノート型のつうしんきだとか言っていた――――のスイッチを入れた。箱の蓋側の方に"通信中"という文字が出る。
 これでしばらくするとここにレナの顔が映るのだ。
 今でこそ当たり前のように使っているが、最初は本当に驚いた。
 この箱は、レナが地球に行ってから一月位した頃、突然帰ってきて置いていったものだ。
 元々は、クロードが『皆で集まる時に必要になるから』といって皆に配った、もっと小さいつうしんきで連絡を取っていた。
 だけど、それだと相手の声は聞こえても顔は見れなかった。
 それがもどかしく、どうしようもない時もあった。
 声を聞くほどレナの顔が見たくなって、何も手につかない時もあった。
 だから、連絡手段がこのつうしんきになってからというもの、僕らは毎日のようにこれを使って話した。
 地球の話、こっちの話、勉強の進み具合、仕事の様子、他愛のないことも全部話した。
 時々クロードが出てきて、
『普通なら医学部を2年で卒業なんてありえないんだけど、レナは本当に凄いペースだよ』とか話してくれたり、
『ここだけの話、レナよく部屋で"アシュトン……"ってつぶや……グホァ!』とか言ってレナに殴られたりもしていた。
 毎日の会話が楽しかった。これがあったから、僕はあまり寂しさを感じずにいられた。
 村の人たちにもかなり励まされたけど……正直、これがなかったら2年間は耐えられなかったかもしれない。
 
 そんな風に感傷に浸っていると、突如目の前にレナが映った。鼓動がほんの少しスピードを上げる。
 気のせいか、レナは前より綺麗になった気がする。少しだけ、雰囲気が大人っぽくなったというか……。
「遅くなってゴメンね」
 申し訳なさそうにレナが言う。
「ううん、気にしなくていいよ。今日は仕事休みで暇だしさ。それで、今どこにいるんだい?」
「そっちに向かっているところよ。順調に行けばお昼くらいには着くと思う」
「そっか。じゃあ、その……お昼くらいに、村の入り口で待ってるよ」
「ふふ、ありがとう」
 照れる僕に、レナが優しく微笑んだ。
「あ、そういえば、お義母さん今日も腕によりをかけて料理作るって張り切ってたよ」
 そう僕が言うと、レナの表情が面白いくらいに一変した。
「ええっ!? じゃあまたあの量を食べるの?」
 うんざりした様に眉をひそめる。
「う〜ん、そうなんだろうね」
「……アシュトン、お願いね」
 少し申し訳なさそうに、手を合わせ、ウインクして言ってくるレナ。
 本来なら勘弁して欲しいところだけど、その仕草が可愛らしくて僕は断ることができなくなる。
「え……っと、とりあえず、少なめにしてもらえるよう頼んでみるよ」
 気休め程度に僕はそう答え、レナはそんな僕を優しく見つめていた。

 そんなふうに何気ない会話をして二人で笑い合う。この時間が、僕にとって至福の時間だった。
 この機械には本当に感謝している。
 ……だけど、今でも時々、たまらなく不安になることがある。
 ここに映っているレナは、本当にレナなんだろうか?
 そんな事を思ってしまうのだ。
 勿論、映っているレナの顔も、聞こえてくるレナの声も、僕の記憶と何の違いも無い。
 だけどレナは今、こんな機械がたくさんある、僕の予想もつかないような世界にいる。
 そして遠くにいるはずのレナが、どういう理屈かわからないけどここに映っている。
 毎日話をしていたのに、僕は、本当は何もわかっていないんだ。
 地球の話を聞くたび、目の前に、そして心の中にいるはずのレナがどんどん遠くに行ってしまうような気がして、別れた方がいいんじゃないかと本気で思ったこともある。
 でも、これを通してレナに会うたびにそんな思いはどこかへいって、時々ふとまた不安になって……。
 それを2年繰り返した。
 今日と言う日を、待ち望んで。

「あと一時間くらいかな」
 そうレナに言われて、僕は窓辺へと歩み空を見上げた。
 すでに日は大分高くなっていた。
 朝には無かったはずの真っ白い雲が、徐々に日を隠そうとしている。
「もうこんな時間なんだ」
 しみじみとそう感じた。
 2年に渡る離れ離れの生活も、もうすぐ終わる。
「……やっと会えるね」
 少し照れ気味につぶやいたレナの言葉に胸が熱くなる。
「お疲れ様、レナ。これからはずっと――――」
 ずっと、一緒にいようね。そう言おうとした瞬間だった。
 突如レナの姿が消え、つうしんきはスイッチを入れる前の真っ暗な状態に戻る。
「えっ! レナ!? レナ!!」
 何が起こったのか理解できず、つうしんきに尋ねかけるが返答は無い。
 もしかしたら何かにぶつかってスイッチが押されてしまったのではないかと思い、慌ててスイッチに手をかけた。
 しかし――――
『エラー 通信先にアクセスできません』
 つうしんきにはそう言葉が表示されるだけだった。
 何度やっても、いくら待っても、それ以上何も起こらなかった。

 しんと静まり返った部屋。
 突如訪れた静寂は、僕の不安を駆り立てる。
(まさか、レナの身に何かあったんじゃ……)
 いつの間にか悪い方向に考えを巡らせている自分に気づき、僕はかぶりを振った。
(何を馬鹿なことを……。つうしんきの調子が悪いか、壊れたか、ただそれだけのことさ)
 とにかく考えるのをやめて、気分転換のつもりで窓の外に身を乗り出した。
 澄んだ空気を胸いっぱいに吸い込み、暗い気分と共にゆっくりと吐き出す。
(曇っちゃったな……朝は快晴だったのに)
 すでに日は、雲に覆い隠されてしまっていた。
 それでも、かろうじて雲の切れ間から差し込む光で何とか日の位置を探る。
 もうすぐ頂点、と言ったところか。
(……そろそろ、かな)
 僕は窓を閉め、錠を下ろした。
 予定通りなら着くのはお昼ごろだ、とレナは言った。迎えに行かなくては。
 身支度を整え、階段を下りる。
「あら、あの子の帰ってくる時間わかりました?」
 ウェスタさんの言葉にはっとする。
「あ、すみません!! 予定通りならお昼頃着くと言っていたので、今から迎えに行くところなんです」
「あらあら、じゃあ急いで支度をしなくちゃ」
「すみません、言うのが遅れてしまって」
 慌(あわただ)しく準備に取り掛かるウェスタさんに僕が謝ると、彼女はにっこりと柔和な笑みを浮かべて、
「いえいえ、積もる話もあるでしょうし、ゆっくり帰ってきてください。料理はその間に作っておきますから」
と言ってくれた。
 ウェスタさんの心遣いに、僕は精一杯の笑顔で応える。
「すみません、それじゃ行ってきます」
「行ってらっしゃい」


 村の入り口に立ち、街道を眺める。
 予定の時間は、そろそろのはずだ。
 人影は、無い。
 さっきの通信を思い出し、少し不安になる。
(……いや、まぁ、多少の遅れは仕方ないか。予定は未定、ってね)
 2年ぶりの再会。レナと会った時に笑っていられるように、僕は暗くなりそうな自分を励ました。

 真っ白だった雲は灰色に変わり、再会を照らすはずだった太陽を覆い隠してしまっている。
 時刻は昼を大きく回った。
 レナは、まだ来ない。
 つうしんきが壊れても、レナが来る時間には関係ない――――はずだ。
 しかしその確認を取ろうにも、もはや手段がない。
 わかるのは、レナが遅れているという事実だけだ。
 上空に広がる雲のように、不安が胸に押し寄せてくる。
 僕はじっと街道に目を凝らした。が、かろうじて見えるのはサルバの街だけ。相変わらず人影はない。
(……もしかしたら、もうすぐその辺りまで来てるかもしれない)
 そう思うといてもたってもいられなくなり、僕はその場から飛び出した。
 サルバの街、神護の森、アーリアの周り、レナの姿を探して狂ったように駆け回る――――――――。


「……はぁ……はぁ…………」
 ふと気づいた時、僕は元の場所、アーリアの入り口に戻ってきていた。
 ……レナは、どこにもいなかった。
 上がった息を整えながら俯く。
(レナ……一体、どうしたっていうんだ……)
 ――――と、ふと首筋に冷たいものが当たった。
 地に目を凝らすと、すでに黒い水玉模様がいくつも出来始めている。
 僕は空を見上げ……笑った。
「……はは。今朝は思い切り、晴れていたのにな……」
 サラサラと顔を打つ雨粒が、火照った体を冷たく濡らす。行き場のない憤りが込み上げて、唇を噛む。
 本当なら、この雨は祝福の雨だったはずなのに。
 本当なら、今頃僕は笑顔でいられたはずなのに。
「アシュトンさん……」
 不意に後ろから声が聞こえた。僕は、振り向くことができなかった。
「……ちょっと、遅れてるみたいですね」
 背を向けたまま、できるだけ平静を装って答える。
「雨も降ってきましたし、中に入った方が……」
「すみません……もう少し、あともう少しだけ待たせてもらえませんか?」
「アシュトンさん……」
「お願いします」
「じゃあ、せめて傘だけでも」
「……ありがとうございます」
 ウェスタさんは僕に傘を手渡し、戻っていった。

 じっと、レナを待ち続ける。
 僕はすでに、全身ずぶ濡れになっていた。傘をさす気にはならなかった。
(風邪……引くかな? またウェスタさんに心配かけちゃいそうだ……)
 そんなことをぼーっと考えている辺り、すでに熱でもあるのかもしれない。
 ふと足元を見ると、いつの間にか地面にも無数の水溜りが出来ていた。
 そこに映る自分の顔を眺める。
 完全な無表情、自分ですら、そこから感情が読み取れない。
 笑っているのか、泣いているのか、落ち込んでいるのかもわからない。
 それでも、一つだけわかる確かな想いは……。
(レナに……会いたい)
 顔が見たい。声が聞きたい。抱きしめたい。
 約束の時間なんてどうだってよかった。
 レナが帰ってきてくれさえすれば、それだけで……。
(でももし――――)
 もし―――レナが帰ってこなかったら?
(僕は、どうする?)
 そんなこと、考えたくもなかった。けれど……
 突然切れた通信、大幅に遅れている約束の時間、どこにも見当たらないレナの姿。
 それらの現実が、僕の心とは裏腹に、思考を最悪の方向へと向けていく。
(もし、もし万が一レナが事故にでも遭っていたら……)
 レナと会える日をひたすらに待ち続けた二年間。その結末が、永遠の別れだとしたら……。
 もちろん、仕事だって楽しかった、村の人とも仲良くなった。
 だけどそれは、レナがいたからこそだ。
 レナがいたから、僕には帰る場所も、やるべきことも見えていた。そんな彼女がいなくなったら――――。
 考えただけで、僕は目の前が真っ暗になったような気がした。
 僕は……。
 僕は一体、どうすればいいんだ……。
 ――――と、ここで既視感を覚えた。
(こんなこと、前にもどこかで……)
 記憶を辿り、思い出す。
(夢……そうだ、3年前の)
 あの時も今と全く同じ状況だった。
 あの時は……そう、確かレナが僕に――――
『アシュトン』
 頭の中の声が、何かと重なった。僕は驚き、顔を上げる。
 そして、降りしきる雨の中、目の前に立っていたのは、ずっと待ち続けた……誰より大切な彼女(ひと)。

「レナ……?」
「ただいま、アシュトン」

 "ただいま"と微笑んだレナは、僕と同じくずぶ濡れで、手には恐らく荷物であろうケースを持っている。
 走ってきたのか、せっかくの綺麗な服に泥が跳ねていた。
 僕はじっとレナを見据え、ゆっくりと、一歩ずつ近づいた。
「ごめんね、遅れちゃって。何か変なとこ押しちゃったみたいで、いきなり『着地点を変更します』とか言われちゃって……」
 照れ笑いしながらレナが話す。僕は無言で、距離を近づけていく。
「それで何とかしよう思ったんだけど、何かすればするほどおかしくなっちゃって……」
 レナの目の前まで来て、僕は止まる。
 さっきから何も言わない僕を、レナが怪訝そうに見ていた。
 そして……
「……アシュトン?――――――きゃっ!!」
 僕は目の前のレナを、力一杯抱きしめた。
 強く、強く……柔らかな彼女の体を、ぎゅっと締め付けるように。
 レナの手からケースが離れ、ぼちゃっと音を立てて水溜りに落ちた。
「…………ぁ……ぅ……」
 腕の中で、レナが苦しげに声を漏らす。
 それでも、力を緩めることはできなかった。
 力を抜けば、今にも腕の中のレナが消えてしまいそうな気がしたから……。
「心配だった、凄く……。君に何かあったら……どうしようって……」
 何とか声を絞り出す。途中からは涙声になっていた。
「でも良かった……本当に……良かっ……」
 止めどなく溢れる涙で、言葉は最後まで言い切れなかった。

 回した腕から伝わる感触。
 濡れた服越しに感じる体温。
 澄んだ空気に混じる香り。

 レナの存在が確かめられて、全身の力が一気に抜けていく。
 そんな僕の腕の中、レナは小さく震えた声で何度も、『ごめんなさい』と繰り返していた。


あとがき

アシュレナED後、レナが地球に行って帰ってくる、時間的にはBS辺りの話になります
最後の抱きしめるシーンを書きたいが為だけに生まれた一品








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