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今の僕にとって大切なもの




 今、告白すべきなのだろうか。
 僕の気持ちを。
 伝えるべきなのだろうか。
 この、胸のときめきを――――――――



 武具の街アームロック。
 今日は一日ここに留まる事が決まり、僕や仲間たちは今、思い思いに久しぶりの休暇を楽しんでいる。
 僕はこれといって用事も無く、朝から町をぶらついていた。
 そして、ある物に目を奪われた。

 それは、今僕の目の前にある、樽。
 酒場の脇においてある、古ぼけた、樽。

 おそらく、古くなった酒樽を新しいものと取り替えるため仮置きしている、と言った所だろう。つまりこの樽はもうすぐ捨てられる、ということでもある。

 目の前の樽を、今一度、じっと見つめてみる。
 蓋から底にいたるまで完璧に洗練されたフォルム。
 完熟した木の醸(かも)し出す色、ツヤ。
 ほのかに香るアルコールの残り香は、木の香りと相まって妖しい程に鼻をくすぐってくる。
 酒樽としては間違いなく超一級品だ。
 加えて、サイズは僕がすっぽり納まるくらいの、この上なく丁度良いサイズだ。
 ……まさか、こんなところでこんな代物に出会えるとは思っていなかった。
(これ、もうすぐ捨てられちゃうんだよね……)
 今、マスターに交渉すればもしかしたらもらえるかもしれない。
 だけど……

『ただでさえ荷物が多いっていうのに、これ以上増やしてどうするんだよ!!』
『そんな汚らしい樽、私に近づけないで下さる?』
『ボクにはわからないね、こんなものに何の価値があるっていうのさ』
『まぁ、少なくとも歴史的価値はほとんど無いな』

(ああ、皆の厳しい意見が聞こえる……)
 中身が無いとはいえ、樽は決して軽くはないし小さくもない。旅をする際に邪魔になるのは明らかだ。
 ましてや、これからますます激しくなっていくであろう戦いの中、樽を守りつつ戦うなんて不可能。
(やっぱりあきらめるしかないのかな……。でも、これを逃したらもう二度とこんな樽には出会えないかもしれない)
 ふと、この樽が捨てられ、壊される光景が頭をよぎる。考えるだけでぞっとした。
(こんな良い樽が、誰にも価値を見出されずにこの世を去っていくなんて……)
「……そんなこと、僕には耐えられないよ!」
 思わず声に出てしまい、はっとして辺りを見回す。
 周囲の目が痛い。
 ため息をつきながら、樽に目を戻す。
(とは言っても、どうしようもないんだ……今の僕には)
 何もできない自分に歯がゆさを覚えつつ、僕はこの樽に別れを告げることを決めた。
(さよなら……)






 先ほどまでの心地よい朝の陽気が、いつしか背中を焦がし始めている。
 あれからどのくらい経っただろう。僕は、まだ樽の前にいた。
 途中、不審に思われたのか、マスターから声をかけられた。『良い樽ですね』と言った僕に、彼は首を傾げて生返事を返した。やっぱり、彼にはこの樽の価値がわかっていない。
 握った拳に力が入る。何て無力なのだろう。僕は救うことも、見捨てることもできずにただその場に立ち尽くす。
 心の中で何度も別れを告げるものの、足を動かすことができない。優柔不断なのは僕の悪いところだ。
(……次で、本当に最後にしよう)
「アシュトン」
 いい加減にしろとばかりに徐々に強くなる日差しに後押しされ、僕は、今度こそ覚悟を決めた。
(ごめんよ。……さよなら)
「ちょっと、アシュトン」
 何度目かの、最後の別れを告げる。
 じっとその場に佇む樽は、無論、何の反応も返してはくれなかった。
 涙をこらえマントを翻し、樽に背を向けて立ち去ろうとすると――――――――
「アシュトンってば!!」
 目の前には見知った青髪の少女――レナがいて、突然怒鳴られた。
「え? レ、レナ? いきなりどうしたんだい?」
 何が何だかわからず、困惑しながら聞く。何か、悪いことでもしただろうか。
「何言ってるのよ! さっきから何度も呼んだじゃない!」
 レナが眉をつり上げたまま僕を睨む。
 どうやら、樽に夢中で声が聞こえなかったらしい。
「あ……そうなんだ。ごめん、考え事してて全然気づかなかったよ」
「もう、じーっと樽なんか見ちゃって。もしかして、考え事っていうのも……?」
 ふてくされたレナが、呆れたように聞いてくる。
「はは……まぁ、ね。それで、どうしたの?」
 レナの問いに苦笑で返し、これ以上何か言われる前に用件を聞き返す。
 何度も呼んだというくらいなのだから、僕に何かしらの用があるのだろう。
 するとレナは思い出したように、
「あ、そうそう。えっとね、その……アシュトン、私とお茶しない?」
 少しためらいながらそう聞いてきた。
「お茶?」
「うん、向こうの方にやまとやっていうお店があって、そこのケーキがおいしいらしいの。だけど、さすがに一人だと行きにくくって」
 レナが指でその方角を指す。そういえばぶらぶらしていた時に喫茶店のような建物を見たような気もする。
「お茶、か。いいけど、僕でいいのかい? プリシスとかと一緒の方が行きやすいんじゃないの?」
 プリシスは甘い物好きだし、お茶の相手にはもってこいのはずだった。それに、女の子同士のほうが話も合うだろうし。
「私もね、最初はプリシスを誘おうと思ったの。でもプリシスったら、ミラージュさんの家の機械に見入ってて、何を言っても全く聞こえないみたいで……」
 レナは眉をひそめ、困ったものねと言うようにため息をついた。
「クロードは前に甘いもの苦手って言ってたし、ディアスは誘っても来てくれなさそうだし」
 クロード、ディアス――――――――僕やレナと同じ、パーティーのメンバーだ。
 レナが僕より先にその二人を思い浮かべたことに、僕は少しだけ嫉妬した。
「それでアシュトンを誘ってみたんだけど……、アシュトンは甘いもの嫌い?」
 レナは困ったような顔のまま、少し上目遣いで僕の目を見て尋ねる。
「いや、好きだよ」
 別に格段大好きと言うわけでもなかったけど、僕はそう答えた。
 あいまいに答えてはレナに悪いし、それ以上に……
「本当? 良かった」
 レナがほっとした様に息をつく。
「それじゃ行きましょ!」
 早速といわんばかりにレナが笑顔で僕の手を引く。
 その笑顔に、僕は少し見とれた。

 レナは、一緒に旅をしている仲間だ。
 僕は、この旅の中で彼女のいろんな顔を見てきた。
 いつでも、誰にでも優しくて。
 時に頑固なくらいはっきりした意志を持っていて。
 魔物相手に物怖じしない強さもあって。
 だけど、触れるだけで壊れそうなほど弱く見える時もあって……。
 そんなレナを見ているうちに、いつしか僕は彼女を好きになっていた。
 レナがいたから、彼女と一緒にいたかったから、僕はここまでやってこれた。
 こんなこと、とても口には出せないけど……。
 僕は良いところも悪いところも全て含めて、レナが好きだ。
 ……でも、この笑顔を見ていて思う。
 僕は、その中でも笑顔のレナが一番好きなんだなって。

「ほら、あそこよ」
 レナの声に促されて僕は顔を上げた。
 "安らぎと憩いの店 やまとや"と書かれた看板を掲げる店が見える。喫茶店と呼ぶには少し小さな感じだ。

 レナと一緒に店に入る。ドアについていた鈴がカランカランと音を立てた。
 同時に、レジ前に立っていた店員が元気よく声をかけてくる。
「いらっしゃいませ! お二人様ですね。お持ち帰りですか、それともこちらでお召し上がりになりますか?」
「あ、ここで食べていきます」
 そうレナが答えて、
「かしこまりました、ではそちらの席にどうぞ」
 店員に案内されて入り口近くの席についた。

「結構良い雰囲気のお店ね」
 丸テーブルの向かい側に座るレナが店をゆっくりと見回して言う。
 外で見たときの印象通り、中はあまり広くない。
 テーブルは全部で2つしかなく、客も今は僕らだけだ。
 おそらく持ち帰る客が多く、喫茶店と言うよりはケーキ屋という感じなのだろう。
 しかし店内は柔らかい木の色を基調としていて、なかなか落ち着いたひとときが過ごせそうでもある。
 もっとも、店自体が小さく席も入り口に近いため、書入れ時には騒がしいのかもしれないが。
「メニューはこちらになります。お決まりになりましたらお近くの店員をお呼び下さい」
 店員が水とともに渡してきたメニューを開く。メニューには色んなケーキや飲み物の名前が並んでいる。
 定番メニューに加え、オリジナルメニューもあるようで、聞いたことの無い名前もちらほら見えた。
「アシュトン、何にする?」
 レナが聞いてくるが、種類がたくさんあってなかなか決められない。
「そうだなぁ……、レナは?」
 時間稼ぎも兼ねて、参考までにレナの頼むものを聞いてみた。
「私? 私はショートケーキ」
「あ、そういえばレナ、ショートケーキが好きなんだったっけ?」
 前にそんなことを聞いた気もする。
「うん。それにショートケーキの味でお店の腕が大体わかるから」
 そう言うと、レナは少し悪戯っぽい笑みを浮かべた。
「あ、そうか。一番シンプルなケーキだもんね」
 なるほど、そうやって店のランクを確かめるのか、と感心する。

「……じゃあ悪いけど、アシュトン決まったら注文しておいてくれる? 私ちょっとお手洗いに行って来るから」
「ああ、うん、わかったよ」
「お願いね」
 未だ注文の決まらない僕にそう言って、レナは席を立った。

(う〜ん、どうしよう。……まぁいいや、僕も同じのにしよう)
 結局僕はレナと同じショートケーキに決めた。
「すみませーん」
 レジ前のさっきの店員に声をかける。
「はい、ご注文ですね」
「ショートケーキを2つお願いします」
「かしこまりました。お飲み物はどうなさいますか?」
 言われてはっとする。
(飲み物……そう言えば考えてなかったなぁ)
 一瞬レナを待とうかとも考えたが、まぁ、飲み物なら適当決めても問題ないだろう。
「えっと、何かお勧めとかありますか?」
 僕はそう尋ねた。
「はい、お勧めは当店特製の"胸のときめき"になりますね」
「じゃあそれ、二人分お願いします」
 店員が笑顔で答えたメニュー――"胸のときめき"――僕はそれを軽い気持ちで注文した。
「かしこまりました、ではショートケーキおふたつに胸のときめきですね。 メニューをお下げします。 少々お待ちください」
 会釈をして、店員はレジの奥へと向かう。
(胸のときめき、か。何か変わった名前だけど、どんな飲み物なんだろう……。お勧めするくらいだから変なものではないだろうけど)
 少しの不安と期待を感じつつ、僕はレジの奥へ入っていく店員を見送った。

 しばらくして、レナが戻ってきた。
「注文してくれた?」
 席につきながらそう聞いてくる。
「うん。あ、飲み物勝手に決めちゃったけど良かった?」
「ええ、全然気にしないけど。何にしたの?」
「せっかくだからこのお店のお勧めのにしといたんだけど」
「へぇ、何だか楽しみね」
 組み合わせた手に顔を乗せて、レナが軽く微笑む。
 ふと窓を見ると、透き通るような青空からほんの少し光が差し込んでいた。
「今日はいい天気だね」
 素直にそう呟く。
「そうね。こんな日には木陰とか広〜い草原でお昼寝したくなるわね」
(木陰で昼寝、かぁ)
 ふと、自分が木陰で昼寝をしている絵を思い浮かべた。
 隣にはレナがいて、お互いに寄り添ってうとうとしている。
 時折吹く穏やかな風が、透き通る空のように青いレナの髪をなびかせ、仄かな香りが運ばれてくる……。

「どうしたのアシュトン? ちょっと顔が赤いけど、大丈夫?」
「え!? あ、いや、なんでもないよ!」
 我に返り、手を振って大袈裟なくらい否定する。
「そう? ……あ、来たみたいよ」
 そう言うレナの視線の方向に目をやると、先ほどの店員がショートケーキを運んできていた。
「お待たせしました、ショートケーキになります」
 僕とレナ、それぞれの前にショートケーキが置かれた。
 いたって普通のショートケーキ。だけど、その綺麗な色合いに目を奪われた。
 淡い黄色のふっくらとしたスポンジとそれを包む真っ白な生クリームが、スポンジの間と一番上のイチゴの色を鮮やかに引き立てている。
「わぁ〜、美味しそう」
 レナが目を輝かせてケーキを眺めている。
「それじゃ、食べよっか」
「うん、いただきま〜す」
 そう言って、笑顔でフォークをとるレナがいつもより幼く、無邪気に見えて、僕は自然と微笑んでしまった。
 そんな僕を不思議に思ったのか、
「? どうしたのアシュトン?」
 手を止めてこちらを見つめるレナ。
「ううん、何でもないよ。気にしないで」
「……何かさっきから変よアシュトン、本当に大丈夫?」
「大丈夫だってば。それよりもさ、早く食べようよ」
「う、うん……」
 納得の行かない様子のレナを適当に誤魔化して、僕はフォークを取り、ケーキを口に運ぶ。
 口の中に、柔らかい触感と適度な甘さ、酸味が広がる。
 ……美味しい。
 正直驚いた。僕も料理にはそれなりの自信があるけど、格が違う。
 スポンジの硬さから生クリームの甘さまで全てのバランスが絶妙で、完全に計算しつくされてる感じだ。
「美味しい!」
 向かいから、同じような驚きの声が上がった。そちらを見ると、レナが固まっている。
 今まで食べた中でも一番美味しい、そう言わんばかりの顔だった。
「アシュトン、これ……!」
「僕も驚いたよ、これは美味しい」
 素直にそう答えて、僕はまたケーキを口に運んだ。

 結局、一分も経たないうちに二人ともケーキを食べ終えた。
 普段なら一個で十分なケーキだけど、やみつきになりそうだ。そう思うほど、衝撃的な味わいだった。

 その後はレナとこのショートケーキについての話が弾んだ。
 どうやったらこの味が出せるのかとか、材料にも拘ってるのかとか、ここのパティシエなら食の魔人ヤーマにも勝てるんじゃないかとか。
 美味しい食べ物は気持ちまで豊かにする、というのを改めて実感した気がした。

「こちらが、当店特製の"胸のときめき"でございます」
 そうこうしているうちに飲み物の方も来たらしい。
 僕はレナから目を離し、テーブルに置かれようとする飲み物の方へと移した。
 そして……目を疑った。
 目の前に置かれたのは、一人分にしては大きすぎる器。
 中には気泡を発する爽やかな空色をした液体が注がれていて、縁には色とりどりの果物が飾られている。気泡のはじけるシュワシュワという音が、爽やかさを一層引き立てていた。
 だけど、そんなことはどうでも良かった。
 問題は、置かれた容器が一つだけで、ストローが二本ささっていたことだ。
 思わず絶句する。
(明らかに、カップル用だよね……これ……)
「それでは、ごゆっくりどうぞ」
「え、あ……」
 何かを言いかけた僕を尻目に、店員は笑顔で会釈して、さっさと戻っていってしまった。

 息の詰まるような沈黙が流れる、気泡のはじける音だけが僕らを包む。
 先ほどまで盛り上がっていた会話も、ピタリと止んでしまった。
(カップル、に見えたのかな……?)
 嬉しいような反面、レナに迷惑なのではないかと思い、複雑な気持ちになる。
 レナの方を見ると、彼女も少し気まずそうに目を泳がせていた。
「……ごめんね」
 最初に出てきた言葉は、それだった。
「え?」
「その、飲み物さ、勝手にこんなの選んじゃって」
 すると、レナは少しあわてたように手を振って、
「ううん、そんな、アシュトンのせいじゃないわよ」
 と、ぎこちない笑顔で否定した。
 その笑顔に心が痛む。お勧めだから、という軽率な判断を後悔した。
「……あのさ、僕が全部飲もうか? 僕が勝手に頼んだんだしさ」
 ただ責任を取りたくて、思いつきでそう言った。
 レナはそんな僕の言葉に眉をひそめ、
「もう、だからそんなに気にしないで。お勧めされたものを頼んだだけなんだから」
 少しだけ苛立ったように、それでも僕を庇ってくれる。
「……それに、嫌じゃないし」
「……え?」
「ううん、何でもない。それより、とりあえず飲まない?」
 レナが続けて言った言葉に、耳を疑った。
「ケーキを食べたら何だかのどが渇いちゃったし……。でもこれ、一人じゃ多いでしょ?」
「いや、でも……」
「仕方ないじゃない、もう頼んじゃったんだから。まぁ、アシュトンがどうしても嫌だって言うなら無理にとは言わないけど……」
 そういって、レナは少し口をとがらせた。
「そ、そんなことないよ!!」
 それを思い切り否定する。嫌なはずがない、そんなの嬉しいに決まってる。でも――――――――
「うん、じゃあ早く飲みましょ。ぬるくなっちゃったら美味しくないわ」
 僕の気を知ってか知らずか、レナが微笑んで促す。
 そんな彼女を見ていて、自分を責めていたのが何だかバカらしくなり、僕も笑って、そうだね、と返した。

 お互いにストローに顔を近づける。
 器を挟んで、徐々にレナと顔が近づく。
 ふとレナと視線が合って、かつて無い距離に胸が高鳴る。
 気恥ずかしくなり一旦は目を逸らすものの、意識しまいとすればするほど、視線はレナの顔へと向かってしまう。
 レナもほんの少し顔が赤い。
 場違いかもしれないけど、顔を赤らめたレナが、とても可愛く見えた。

 ストローに口をつける。
 目の前にあったはずのストローまでの距離はとても長く、ものすごい時間がかかったような気がした。
 すぐ目の前に、同じくストローを口につけたレナが見えた。
 息がかかりそうなくらい、顔が触れ合いそうなくらい、近い。
 もう一歩身を乗り出せば、それこそキスできそうなくら――――――――
 考えた瞬間、頭の中が真っ白になり、のぼせた様に顔が熱くなる。
 僕は妄想を振り払うかのようにそのままストローを吸った。
 液体が勢いよく口の中に流れ込んでくる。
 それは爽やかで、少し炭酸が効いていて、火照った顔を気持ちよく冷やしてくれた。
 恥ずかしくてレナの顔は見れなかったけど、レナのストローにも液体が通っているのはわかった。

 お互いに何も口に出さず、黙々と飲む。
 徐々に減っていく液体。下がっていく液面を眺めていて、ふと思う。
(これを飲み終わったら、もう帰るんだよね……)
 すぐ目の前に好きな彼女(ひと)がいて、二人きりで居られる夢のような時間だった。
 それが、終わろうとしている。
(……当たり前じゃないか、これは単なる"お茶"の時間で、僕らはただの、仲間なんだから)
 そんなことを思いながら、少しでもこの時間が長く続くようにと、僕は、出来る限りゆっくりと液体を飲み込んでいった。

「ありがとうございました〜!」
 入店時と同じ、元気の良い店員の声を聞きながら、僕達は店を出た。不意に目に入った日は、思ったよりもまだ高かった。
 元来た道を、並んでゆっくり歩く。
「アシュトン、今日はありがとう。一緒に行ってくれて」
 レナが言った。
「ううん、お礼を言うのは僕の方さ。すごく楽しかったよ」
 僕がそう返すと、レナは軽く微笑んで応えた。

 無言で歩く道。
 もしも僕らが恋人同士なら、今はいいムードなのかもしれない。
 だけど、隣を歩くレナと僕の間には少しの距離がある。
 近すぎず、遠すぎず、あいまいな意味の距離。僕には少し、この距離が辛かった。
 レナと一緒にいると、どうしても距離を感じてしまう。
 僕とレナとの距離、それはクロードやディアスよりも……遠い。
 そう考えると、隣にいるはずのレナが、遠い存在のような気がして。
(僕には……勝てないよ)
「どうしたの? さっきからずっと下ばかり向いて……」
 心配したのか、レナが僕の顔を覗き込む。
「え? あ、いや、何でもないよ」
 もうすぐこの時間が終わってしまうって思ったら、なんて言えない。
 すぐ隣を歩くレナの手を握ることすら、今の僕にはできない。
 僕はレナの恋人じゃない、ただの……仲間だから。
「そう。ならいいんだけど」
 レナの声が胸に痛かった。

 突然、レナが立ち止まった。
「あ……私、この後寄るところがあるから」
 申し訳なさそうに言う。
 僕はその場で立ち止まり、
「そうなんだ。じゃあここで」
と答えた。
「うん。それじゃ、また後でね」
 手を軽く振って、レナと別れる。
 レナの背を見送りながら、このまま行かせていいのか、と心に問う。
 彼女との時間をこのまま終わらせていいのか。
 自分の気持ちを伝えなくてもいいのか。
 そんなことを考えているうちにも、レナの背中は少しずつ小さくなっていく。
 僕は――――――――!
「レナ!」
 つい、呼び止めていた。
 彼女が驚いたように振り向く。
「どうしたの、アシュトン? いきなり大きな声出して……」
「あ、いや、その……。きょ、今日は本当に楽しかったよ。ありがとう……」
 すると、レナはいつもの笑顔で、
「今度、また行こうね」
 そう、答えた。
 そしてレナは再び歩き出し、やがて、姿を建物の影へと隠してしまった。

 レナが振り向いて、目が合った瞬間、何を言うべきか全くわからなくなっていた。
 僕は、何が言いたかったのだろう。

 "今日は楽しかった"

 そんな事だったのか? ……たぶん、違う。
 でも、レナの笑顔が見れたから、今の僕にはこの選択も正しかったんじゃないかと思えた。

 気持ちが伝えられなくてもいい。
 それで、レナの笑顔が見ていられるなら。
 レナの笑顔が見られなくなるくらいなら、僕は――――――――。

 僕は空を見上げた。
 まだ高い日は、まるで慰めるかのように穏やかな日差しを僕に浴びせていた。


あとがき
やまとやデートでの二人です
アシュトンと樽の悲恋物語(?)と併せてお楽しみ頂けたら幸いです








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